大動脈瘤

ホームページの管理人は
解離性腹部大動脈人工血管置換手術、大動脈人工弁移植&バイパス手術、
解離性胸部大動脈人工血管置換手術
の手術経験者です。
                          07年1月6日更新

 06/12/15フジテレビの大動脈瘤特集、25日は加藤茶の大動脈瘤の記者会見など大動
脈瘤取り上げられメジャーな病気になった気がします。今ではこのページのアクセスも日/20
回を超えるまでになりました。
 このページをごらんになっている貴方、今日病院に行って大動脈瘤が有るといわれました
ね。裕次郎や加藤茶と同じ病気と聞きガッカリしているのでは・・・・・念のため、裕次郎は大動
脈脈瘤で逝ったのではありません。
 検索しても大動脈瘤の手術経験者のぺージは他の病気に比べ少いです。それは、殆どの
人が60才以上で発病しますので、ホームページを持っている方が少ないのも理由の1つと考 えます。
 皆さんが大動脈瘤に向かって、元気を出してくれるページになればと思いUPしました。

 1999年 発見過程 

 55歳の時、意を決して自病である心臓病のカテーテル検査、CT検査を行ったところ、カテー
テルで左前下行枝冠動脈完全閉鎖、大動脈閉鎖不全を、CTでは解離性腹部大動脈瘤が見
つかりました。
 この自病は、高校2年生(昭和37年)の時に見つかり、県立前橋病院(現在の群馬県立心
臓血管センター)で幼年性心筋梗塞症と診断されました。
 幼い頃より冠動脈が2本の欠陥心臓で、一方の冠動脈が心筋梗塞を発病すれば、大変なこ
とになりました。高校時代足には自信があり、短距離100mは全校2位の12秒、中距離はク
ラスでも1割の中に入りました。中距離をゴールした直後、グランドに転げ回って苦しかったこ
とを、今でも覚えています。
 99年当時、時々胃が炎症を起こすので、腹部の拍動は炎症のせいと思っていましたら大動
脈瘤でした。発見時、瑠の直径は4.5cm、55歳にしては大きる様です。逆に言いますと、其
れだけ動脈硬化が進行している証拠ですが、成長を見守る事にしました。

 1回目 解離性腹部大動脈人工血管置換手術 2001年10月 

 直径が5.5cmまで成長、ソロソロ切り時と思い手術を決意、先生より手術の説明があり、リ
スク3%と言われガッカリ。カテーテル治療もリスク3%は見ているようですが、私は、実際に
はリスク0.05%程度と考えています。だから置換手術もリスクは低いと自己解析し納得しま
した。
 22年前に実兄も東京女子医大で大動脈人工血管置換手術を行なっていますが、人工血管
や手術方法は格段と進歩しており安心しています。兄弟で人工弁と腹部大動脈瘤とは悪い血
を引きますね。
 退院して1ヵ月半、12月15日、東京にいる長男(Certified Public Accountant)の結婚式に
出席することが出来感無量でした。


       長女     次男       長男夫婦       家内    私(少し覇気がない)
 
新郎の父の挨拶は
「大動脈人工血管置換手術の翌朝、意識が戻ってからは夢中で数時間過ぎました。
鈍痛の中1人になったとき考えた事は、手術が成功した事より
これで息子の結婚式に出られる事でした。
この場に立てるのだと思った途端に、急に大粒の涙が溢れ出ました。
常日頃、息子夫婦がお世話になっている皆様にお会いすることが出来て
本当に嬉しいです。」

ハンカチで目頭を抑える人が何人もおられました。

  2回目 人工弁移植・バイパス手術 2002年8月

 大動脈弁閉鎖不全症で人工弁移植手術と、左前下行枝冠動脈が元から完全閉塞でバイパ
ス手術2本を同時に行う。大動脈人工血管置換手術は腸が元に戻るのが痛く、人工弁移植
手術は痛くはありません。術後12日で高速を運転できるほどです。
 手術時間はAM9時〜PM8時でした。私が高齢で直径3〜4cm位でしたら手術を行わないよ
うです。皆さん〜〜、元気を出しましょう。頑張って下さ〜い。

 3回目 解離性胸部大動脈人工血管置換手術 2006年9月 

 8月25日19時ごろ、自宅二階の事務所でパソコンの作業中、首の辺がギクと音をたてお尻
の辺がぽーと熱くなる感覚を覚える。心筋梗塞の経験者に「お尻の辺が異常に熱い感覚があ
った」と聞いていましたので、只ならぬ事態に陥った事を予感。先ず、ノドが乾いたので水を飲
みに行き、万が一のことを考えパソコンを綺麗にしておこうと、メモリーやゴミ箱を整理、ホー
ムページのUPも行う。この間3〜4分と思われます。
 居間に降り家内に「心臓がおかしい救急車を呼んでくれ」と手配を頼む、立つことが困難に
なって来たため、床に横になった直後、背中に激痛が走り体が硬直、意識はちゃんとあるもの
の下半身の感覚が麻痺、寝ていた為、倒れることがなかったのも幸いしたとと考えます。消防
署が近いので数分で救急車が来ましたが、歩くことが出来ずタンカーで救急車に運ばれる。

 救急病院は、外来で通院ている病院とは違う『群馬県立循環器病センター』を指定しました
が、到着した病院がどうも見慣れた病院だと思ったら、外来で通院している病院でした。救急
車の運転手に病院名を旧名の『群馬県立循環器病センター』と言ったため、名前が似ている
ので間違えたようです。2回手術を行いデーターのある病院を敬遠した理由は、私が一番信
頼していない心臓内内科の先生が居るためでした。今日は救急患者なので宿直医なら診断
する可能性があり敬遠したかった訳ですが、結果としては大当たりでした。
 心臓内科の先生の所見は「脈、血圧共正常(そのときタマ々正常、実際には血圧は120〜
160を乱高下、)で足が麻痺している。脳に何らかの原因が有ると思われるので、頭のCTを
撮ります。」投影結果は「脳には異常は見当たらないので、神経的なモノかもしれません。明
日は近くの整形外科を紹介します。さしあたり痛み止めとして錠剤を出しておきます」。「俺を
殺す気か!このやぶ医者め、分厚いカルテも見ず、聴診器も当てずに何がわかる。これでも
心臓内科医か!! この症状が整形外科のはずが無い、絶対に心臓だ、明日整形外科に行
くために病院から出られので、群馬県立心臓血管センターに逃げこもう」と決心しました。
 翌日26日(土曜日)午後、頼みの若い担当医が登院「並木さんが入院したと聞いたので回
診に来たョ」と言いながら、問診をして慌ててCTで胸部の投影を行う。すぐに結果が出タ。
 「並木さん、良くない結果です。上行動脈から以前手術した腹部のところまで、大きく解離し
ています。今当院では緊急手術の対応できないので、緊急手術が出来る病院を探すのです
が、その前に、血圧が高いと大動脈瘤が破裂する危険がありますので、緊急処置として、血
圧を120以下に薬で下げます」診察室がにわかに騒がしくなった。
 若い先生が「転院先は県立心臓血管センターで良いですか、良ければ救急車を手配します
」この指示により、望みの病院に入院できることになりました。

 群馬県立心臓血管センターに入院して9日目、9月4日に手術日が決定、家族に手術説明
が有ったようです。私は手術後入院中に聞いたのですが・・・・・
 ○解離部分が不安定で、もし1ヶ月間以上手術が出来なければ内臓に影響し、危険な状態
になる。すでに腎臓が1つ機能を果していない。
 ○人工弁移植手術をしており、確実に内蔵が癒着している、はく離するときに臓器を傷める
可能性がある。
 ○何しろ開けてみなければ分からない、脳に行く動脈まで解離していると処置ができない等
家族にとっては厳しい説明でした。
 ここまでは術後すぐに教えれくれたが・・・・・・・・

 手術が行われた翌々日の昼ごろ、意識が戻ったと言うより戻されました。以前の2回の手術
は翌日には意識が戻りましたが、今回は何か長いこと眠らされた感じでした。精神的な負担も
大きく、手術前の2日間の記憶もありません。
 肺が肋骨と癒着しており、はく離するとき肺を傷つけざるを得なく接着材で補修、術後最高
血圧が40、不整脈が発生し電気ショックでタイミングを取り、正常値にしましたが、危ない状
態が続いた様です。それでも集中治療室に居たのは10日間、肺の穴も2週間位でふさがりま
した。

 リハビリーも行い10月3日退院、入院期間40日となりました。足の血圧が腕の血圧の70
%ぐらいしかなく、当然足の血流が悪く、歩行に支障があります。100m以上一気に歩く事が
出来ず、休み休みの歩行です、舌の感覚もいまいち、それでも命あってのモノだね。
満足しています。

 今回は群馬県立心臓血管センターでも大変な手術だったとのこと、某病院のヤブ医者の診
断を信頼していれば、血圧の変動により大動脈破裂の可能性がありました。

 退院後、某病院の若い先生にお礼に伺ったところ、「並木さん生きている!手術は成功だっ
たんですね。大変な手術になる事が分かっていましたので、心配で自宅に結果を聞く勇気が
出来ませんでした。良かった〜」「自分でもただ事ではない病状と判断しておりましたが、先生
の診断のおかげです。」「私も並木さんの話を聞き、ただ事ではないと直感し、急いでCTを撮
りました。この手術が2日で意識が戻るのは早いです。すばらしい手術でし たね、紹介して良
かった」と。M先生有難うございます。

 解離性大動脈瘤と診断された皆さん、すぐにでも逝ってしまうのではと、大変気落ちのことと
思いますが、そんなに容易く逝きません。私はしつこく生きております。
 皆様のご健勝をお祈りいたします。

 全て私のケースです。最後までお読み頂き、ありがとうございました。 
 
 ■追伸

 07年1月3日、長男が快気祝いも兼ね1泊の温泉に招待してくれました。長男は退院直後
から「家族で近場でも良いから温泉で一泊したい」と、私は「そんなに焦らなくても、元気ならい
つでも行けるのに」と考えていましたが正月に実現しました。
 次男と二人部屋になったので「お父さんが入院したときの状態から考えれば、こんなに元気
にるとは思わなかったろう」と言ったところ、次男は「うん、最初の説明時、手術の成功率30%
と言っていたから、今日の旅行も想像できない」と、私は内心「え〜30%10人の内7人が駄
目だったのか、自分の計算では癒着を考えても85%ぐらいに考えていたのに、改めて手術の
成功に感激、家族もリスクの大きい手術でプレッシャーも大変だっに違いない、そう言われれ
ば、術後気が付いたとき、子供達が皆いたのを不思議の思い「何で皆居るのだ(術後3日目)、
会社が忙しいのじゃあ〜ないのか」の問いに「ううん〜ちょっと」と言ってごまかしていたのを思
い出しました。
 ICUで危ない状態が続いたので東京に帰るどころではなかった様です。
 今日で術後90日、改めて家族に感謝しております。 
                                      1泊温泉 2007/1/4撮影

     群馬県立 心臓血管センターは臨床経験では国内ベスト10に入る優良病院です。


術後4日 マスクは肺に穴があいているため、強制
的に酸素を取り入れ外圧のバランスをとる。(次男)

集中治療室 大手術にしては確りしています?
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 ハイジも見舞い10月1日 退院2日前 

リハビリーセンター こんなに元気10キロやせました
 お便り namiki@ceres.ocn.ne.jp 携帯 090-1122-9154


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